2007年09月20日
コンスタンティヌス1世とは?
ディオクレティアヌスの時代に副帝を務めていたコンスタンティウス1世の子として生まれたコンスタンティヌスは、312年に帝国の西の正帝となり、ディオクレティアヌス引退後の内乱を収拾して324年に帝国を再統一した。330年には帝国東方の交易都市であるギリシャ人の植民都市ビュザンティオン(現在のイスタンブル)に新首都コンスタンティノポリスを建設した。統一された帝国の皇帝として、コンスタンティヌスは官僚制を整備し、属州における軍事指揮権と行政権を完全に分離するなどディオクレティアヌスが始めた専制君主制を強化した。経済・社会面では、ソリドゥス金貨を発行して通貨を安定させ、コロヌスの移動を禁止、身分を固定化することで農地からの収入安定を図った。
宗教政策の面では、帝国の統一を維持するため寛容な政策を採り、ネロ以来禁止されていたキリスト教に信教の自由を与えて公認した。彼がキリスト教を公認したことは、後年キリスト教がローマ帝国領であったヨーロッパへ浸透するきっかけとなる一方、教義決定に皇帝の介入を受けることにもつながった。
コンスタンティヌス自身は、ブリタニア出身のキリスト教徒ヘレナを母として生まれたのでもともとキリスト教に好意的であったと言われる。一時期ミトラ教に傾倒したが、晩年にはキリスト教の洗礼を受けた。
東方正教会ではキリスト教徒であった母とともに「亜使徒」の称号を付与されて尊崇され、コンスタンティノポリスを首都とした東ローマ帝国(ビザンツ帝国)では、彼と同じ名(ギリシャ語形はコンスタンティノス)を持つ皇帝が多数即位した。のみならず、東ローマ帝国はコンスタンティヌスのしいた専制君主制とキリスト教の信仰の上に成り立っていたため、その先駆者であるコンスタンティヌスを「最初のビザンツ皇帝」と呼ぶ歴史家もいる。
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